映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』 

幼少期に再放送を見ていた世代としては、

またガンダムが躍動するのを見られるのは心高鳴るものであり、

『ククルスドアンの島』には期待していた。

映画館で見たかったが叶わず、アマプラで見ることにした。

結果、「ビデオでよかった」と思った。

まず、子供向けなのか、大人向けなのかわからなかった。

小学校高学年以上、大人が見ても視聴に耐えられる作品に

なっているかというと、難しいと思った。

「なぜいまこれなのか」のいうのがわからない。

テーマもいまいちはっきりしない。

これが公開された時期も悪かった。

5月の公開が決まったあとに、ウクライナ戦争が始まったからだ。

しかし、ちゃんと戦争というテーマと向き合った作品であれば、

この状況を追い風にもできたかもしれないはず。

ガンダムが秀逸だったのは、シンプルな勧善懲悪ものではなく、

戦争を起こす人たちの論理というのを、登場人物のセリフによって

語らせていたことだ。

これをとてもシンプルにいうと、

「どちらにも正義がある」ということ。

戦争をする両者にとって、共通の敵は戦争であり、平和が目指す目的であるのだが、

その手段として戦争をしなければいけないというジレンマと戦っていた。

だから、登場人物たちに哀愁があった。

そこに多くの人は惹かれたわけだった。

残念ながらいまの「ガンダム」にこれを望むのは酷だった。

単にロボットが戦うだけのアニメ映画だった。

宮崎駿が「なぜいまこの映画をつくるのかという問いに答えられないと

映画なんかつくっちゃいけなんだ」みたいなことを言っていたと思う。

また、ある人気のロックバンドの歌手も「いい歌はたくさんあるが、

売れるかどうかはその時代に合っているかどうか」

といっていたのを思い出す。

日本映画は、そこのところを突き詰めて、ストーリーを練ってほしいな。