「考え深い」は誤用? 

ネットの書き込みなんかを読んでいると、

「考え深い」という言葉を書いている人がいるのを

何度か見た。

これはすぐに「感慨深い」の間違いではないかと思った。

感慨とは、ものごとに感じてしみじみとした気持ちになること

という言葉だそうだ。

ただ、「考え深い」という言葉も調べてみたら、

「思慮深い」とか、「考えの深い」ことという解説が出てきて

間違っていないのかもしれない。

ただし、たとえば「あんなに小さかった子が大きく立派に

なって○○」というときは、どう考えても「感慨」だろう。

もしかすると、「感慨深い」というのを耳で聞いた人が、

「考え深い」と認識し、思慮深いという意味で

「考え深い」と書いているのかも。

たぶん、「考え深い」があまり古くからある言葉ではないだろう。

もしそうなら、耳コピが間違っていて新しい言葉が

できたことになる。

そんなことはこれまでもたくさん起こってきたことだが、

おもしろいもんだ。

映画「グーニーズ」 

グーニーズ」といえば、映画を観ていない中高年にとっては

ゲームのタイトルでしかなかった。

あの印象的な音楽を懐かしく思い出す人もあろう。

私は映画はウォータースライダーよろしく滝を滑り落ちる

シーンしか見ていないし、全編を見る気になれなかった。

80年代の映画は、好きなものはすごくいいのだが、

名作でも入り込めない類のものもあるからだ。

グーニーズはどっちかというと後者。

なんというか80年代のおおざっぱな、お気楽な感じが

性に合わないのですよ。

あと、無駄なシーン、無駄なセリフが多すぎる点も気になった。

いまの映画みたいに90分程度にできたはず。

ともあれ、設定的にはグーニーズたちと同じような年齢であれば、

十分に胸ときめかせる、ワクワクするものになっていて、

それなりに楽しめた。

主人公たちは自分の子どもたちと同じくらいの年齢だが、

親目線で見ることもなかった。

「んなわけあるかい」とツッコミながら見るのも

たのしい映画かもしれない。

弱者の視点

私はけっこうインフルエンサーの人のSNSでの発言を

見聞きするのが好きなほうだと思う。

だいたい7,8割は賛同できるのだけど、

テーマや内容によって賛成できないものもある。

こういう人たちの中で「いいことは言うけど、

尊敬できないな」と思う人の特徴は、

「弱者の視点」がない人だ。

能力があったり、世渡りがうまかったり、お金があったりする

ような人たちの視点としては、いいことを言うと思うことは

たくさんある。

だけど、弱者の視点がないのは片手落ちなのだ。

常にマイノリティはどう感じるかというのがないといけない。

なぜそうでなければならないかというと、

それは自分もいつかは弱者になるからだ。

弁解の余地なし 

静岡県知事が、

「毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり物を作ったりとかと違って、

基本的に皆さんは頭脳・知性の高い方たちです」

と発言した問題。

これはもうどう考えても、これらの職業の人たちを

一段下に見た発言で、「キリトリ」とは別次元の話だろう。

職業の貴賤を言うのもそもそもだが、

農業(畜産)や販売、ものづくりの人たちが

いかに頭を使っているか知らないのがヤバい。

農業はいまやハイテクで、新しい技術、機材がどんどん出てきて、

技術革新が起こっている。

販売員だって、さまざまな心理テクニックを使って、

消費者が気持ちよく買い物できるように頭を使っている。

ものづくりなど、言うまでもないこと。

こういう人が大学の先生だったってことも驚きだし、

知事を4期務めたというのも驚愕。

こういう発言は今の時代だからダメなんじゃなくて、

ずっと昔からダメでしょう。

静岡県民を辱めたという意味で二重に悪い。

弁解の余地なし。

違ってあたり前

東京西部はいまが桜満開である。

この時期、川沿いに連なって咲く桜を見ながらのジョギングは

もっとも楽しみなことのうちの一つである。

一斉に咲くソメイヨシノだからこそ、この景観が成り立つ。

ソメイヨシノエドヒガンとオオシマザクラを掛け合わせた

1本の木を増殖させたもので、すべてはクローンだ。

だからこそ、一斉に咲く。

だけど、よく見ると幹の発達や枝ぶりはそれぞれに違っている。

それぞれに土壌の様子や傾斜が違っていたりするから、

それに合わせて幹や枝を伸ばした結果だろう。

生まれ持ったものと、環境に影響を受けたもので、

その個体が受ける影響はおよそ50:50と思っている。

生まれもったものによって、一斉に咲くけれど、

幹や枝の様子は違う。

クローンでさえこんなに違うのだから、同じ親といえども

別の時期に生まれた子は育った環境が違うから

違った個性になるのも当たり前という気がする。

遺伝子がほとんど同じでもそれぞれに多様性がある。

遺伝子がちょっとでも違っていたら、何をかいわんやである。

いろんなところに配慮

子どもたちの中学生の保健体育の教材を見ていると、

時代の変化を感じます。

たとえば、ダンス。

これみんなの前で創作ダンスとかやらされるのは地獄だなと思う。

フォークダンの項目を見ていると、男子役、女子役とあり、

男子、女子とは書いてない。

性の多様性に配慮しているのだろう。

「じゃあ、AとかBにしたら?」と思うかもしれないが、

フォークダンスは海外の国々の伝統的な踊りであり、

生活や習慣に即した誇らしいものであるので、

それを勝手にAとかBにするのも違うと思う。

いろんな配慮をした結果、男子役、女子役になったのだと思う。

学校現場は本当に苦慮する場面が多いと思うが、

先生たちも新学期で気持ち新たにがんばってほしい。

いろいろ増額 

国民年金保険料が上がった。

月に460円である。

夫婦二人分だと月額×24か月分なので、年間1万1040年の増額。

これは地味に痛い。

あと、子育て支援金が健康保険料に上乗せされて、

これは1人1か月で500円なので、5人だと月に2500円。

年に3000万円の増額になる。

子どもが3人で児童手当や、都の018サポートなどがあるので

なんとかやっていけている状態。

収入が伸びていかないと数年先は厳しくなるだろう。

未来のための投資と考えて、ここは踏ん張るしかない。