そりゃ誰かは死ぬよ 

今年も量産される「死んだ人のために」の記事。

甲子園の球児たちの記事でこれは定番だ。

死んだ球友のため、父親が死んで母親が女手ひとつで育ててくれた、

なかにはおじいちゃん、おばあちゃんが死んだというのもある。

甲子園には800人以上の選手が登録される。

これだけいたら、そりゃ誰かは死ぬだろうよと思う。

16~18歳の人の祖父母は70代、80代だろうから、

そりゃ死ぬのも無理はないだろうなあと思う。

「おじいちゃん子で」とかムリな言い訳をしているときもある。

こういう記事はもう読み飽きた。

それよりも、「他の部活と狭いグランドを共有しながらこんな工夫して

練習した」とか、「短い時間でこんな練習をした」とか、

そういう話を聞きたいな。

「悔しさをバネに」とか、そんなのみんなそうでしょう。

予選を勝ち抜けたのは、どんな練習をやったからなのか、

どんな取り組みをしたからなのか、そういうのを聞き出したらどうか。

そういう記事こそ読みたい。