そりゃ、誰か死ぬでしょう 

若いころから五輪選手たちや学生選手たちの周辺のエピソード、

しかも泣けるエピソードは嫌いだった。

選手自身がどうやって困難を克服したかという話なら

ぜひ聞きたい。

だけど、

親が若くして死んでいたり、親友が死んだり、

恩師が死んだり、祖父母が死んだりしたのを

取り上げて、「死を乗り越えて頂点を目指す」といわれてもなあ。

いや、そりゃ誰かは死んでるでしょうよ。

20年とか30年生きてりゃ誰か死ぬよ。

みんな誰かを失って生きてるんですよ。

それってアスリートが特別じゃない。

だから、誰かが死んだからって特別がんばるわけでもないでしょ。

私が嫌いなのは、「あんたらこんなのが好きなんでしょ」って

メディアにいわれているような気がするから。

細かいことわかんないでしょ、これで泣けるでしょってね。

バカにされている気がする。

まあ、実際、バカにしてんでしょうけどね。

大手メディアはそういうところがある。

もっと本質的なところを報道してほしい。

それをわかりやすくね。

そここそが腕の見せ所でしょうよ。