私たちは思いがけず死ぬことがある

酒とタバコを好きなようにやる人は、
「長生きしようとは思わない。いつ死んでもいい」
という。
でも、今の時代、そういうのがかっこいい時代ではもはやない。
自分だけはポックリ死ねるように思っている。
いまの時代は簡単に死なせてはくれない。
下手に倒れたらずっとベッドの上で過ごさなければならなくなる。
不摂生で過ごしている人を家族がとがめるのは、
本人を思ってのこともあるが、半分は自分のためである。
自分の生活を侵されたくないのだ。
私たちが認識しておかなければならないのは、
死んだ人の話は聴けないということである。
「倒れたときも死ぬとは思わなかった」という人がいるが、
それは生還したから言えるのであって、死んだ人もそう思っていた
かもしれない。
若くして死んだ人も「年寄りになってまで生きたくない」と思っていた
かもしれないが、それよりも早くに死んでしまったわけだ。
思いがけず死んだ人は誰も、「明日自分が死ぬわけはない」と思って
過ごしていたに違いないのである。
明日という不確定要素の多い未来に向かっていまやるべきことは、
目の前の一瞬を精一杯過ごすことしかないと思う。
やりたいことをやり、ろうそくの炎がフッと消える瞬間まで
命を燃やし尽くすことだ。
「オレだけは大丈夫」という思いを一度、
思い直してみる必要がありはしないか。
そして、周りの人の言葉に少しは耳を傾けてみることが
必要かもしれない。