差別ってナニ? なぜそれがいけないのか? 

サッカーのフランス代表選手が、日本に来た時に

ホテルのスタッフをバカにした動画を撮って公開したことが

話題になっていますね。

これ、「日本人差別だ、アジア人差別だ」とかいうのだけど、

こういう話題になったとき、いつも思うのは、

「何が差別にあたるのか」が整理できていないってこと。

「差別ってナニ?」っていうことと、「それがなぜいけないことなのか」

ということをはっきりさせないと、話は深まらない。

私はこういう出来事を見聞きするたびに自分の頭で考えた。

その結果は、差別とは

 

ある枠組みを捉えて「違い」を優劣や善悪と結びつけ、

相手を卑下して、不利益を被らせること

 

であると考えている。

たとえば、「日本人はつり目だからブサイク」

こういうことを言えば、即座に人種差別につながるだろう。

「日本人」という枠組みを捉えて、「つり目」という違いを

「劣っている」として、相手を「イヤな気分にさせている」からだ。

これが「あいつはつり目だからブサイク」というのは単なる悪口。

このときは「あいつ」と「私」との関係において、

「私」が私見として、「あいつ」のことをブサイクだと思っている

という主張をしているのである。

個人と個人の関係で成立するのが悪口であり、

個人と集団の関係になるのが差別なのだ。

(集団と集団の関係の場合もあるかもしれない)

SNS時代の今は、個人と個人の関係の出来事を、

個人と集団の関係にさせようと、「これは差別だ」とたきつける

連中がいることは確かだ。だからこういう騒動が起こりやすい。

たきつける連中は、放火魔と一緒で炎上するのを遠巻きに見て

たのしんでいるのである。

集団の特性について言及するときには、優劣と結びつけないこと。

そして、やるなら「優」についてのみ、述べるようにすることだ。

「日本人は協調性のある国民性がある」と言われて、

あまり気分を害する人はいないだろうからね。

今回、フランスのサッカー選手のこうした振る舞いを厳しく

糾弾するコメントの中に、「フランス人は世界で最も差別的な人種」

などと書いてあるものがあった。

これこそが差別的な発言であることに全然気づいてない。

自分の中に差別心があることを前提として、

集団を十把一絡げにして「差」を取り上げ、「劣っている」と

見下すようなことをしないようにしないといけない。