死んでから喪に服すとか、「穢れ」なんて思想も、
感染症が理由ではないかという説がある。
死者が出ると、喪家では一定期間、喪に服す。
これは感染症にかかっていないことを確認してから、
他の人と交流しなさいね、ということではないか。
昔の人も当然、感染症でバンバン死んでいた。
死者を扱い、「濃厚接触」した人の中から新たな感染者が出て
死ぬこともあっただろう。
昔はウイルスや細菌のことなんてわからないから不安になる。
その不安を「穢れ」という概念で説明しようとした。
衛生状態の悪い昔は、「穢れ」によって説明することでしか、
不安を払しょくできなかったのだろう。
その穢れの概念は差別の温床になっていく。
肉を頻繁に食べるようになった江戸時代には、
家畜を扱う職業の人は差別されるようになった。
動物の死体を扱うことで「穢れ」を受けて、つまり感染症のリスクが
あるために、住居も隔離することになった。
それによって被差別部落も生まれていった。
差別には感染症がそうとう関係している。
ひるがえって現代を見てみよう。
コロナウイルスで、いろんな人がいろんな形で差別されている。
何も変わっちゃいない。
なぜか。
教えてこなかったからだ。
差別の歴史を教えないといけない。
先人たちの過ちを後世に伝えるのだ。
そうでなければ、差別されて理不尽に自由を奪われ、
命を落とした人たちに申し訳が立たない。