「自業自得」が大好きな日本

ちょっと驚いた。

石原慎太郎がALSについて記述した中に「業病」という

言葉を使っていたらしいことがわかった。

あれほどの見識の持ち主がこの言葉の意味を知らなかったとは。

業病とは、前世の悪行ゆえにかかる治りにくい病気のこと。

むろん、そんな病気などない。

この言葉は、私はハンセン病のことを学ぶ中で知った。

長らく、ハンセン病は業病とあるとされた。

業病などというものはないにもかかわらずだ。

ハンセン病がごく感染力の弱い菌によって感染するということが

知られる以前は、なぜかかる人とそうでない人がいるのか

わからなかった。

わからないものに対して人々は不安になる。

そこで業病という考え方が持ち出された。

ハンセン病になった人は、前世で悪行を行ったからだ」

と考えることで、「自分は大丈夫」と安心したかったからだ。

このいわば自業自得の論理は、古く日本人のメンタリティに根差している。

自然神を祭っていた八百万の神を信仰していた時代から、

自然災害の理不尽を自ら納得するためには、自業自得の論理は、

受け入れられやすかったのだと思う。

要は、善い行いをすれば報われ、悪い行いをすれば罰せられるという考えだ。

この自業自得の論理は、世界的に見て、

日本人が突出して強くもっているらしい。

いまのコロナにまつわる騒動を見ていてもそれを実感する。

コロナウイルスには、誰だって感染する可能性がある。

どんなにケアしていてもかかるときはかかる。

それはその人の責任ではない。

だけど、「誰がかかるかわからない」のは不安なので、

ちゃんと対策をしていれば絶対にかからないと信じたいという

思考が働く。

その反動として、「コロナにかかったのは、ちゃんと対策しないからだ」

という論法が成り立ってしまう。

「かかったやつが悪い」となるわけだ。

すると、「かかったやつは悪い奴だから、叩いてもよい」と考える

者も出てくる。

この感染者叩きと、かつてのハンセン病患者差別は、

自業自得の論理において根っこでつながっている。

人は死の恐怖で不安になると、それを解消しようとする意識が

自然と働く。これは人間の生理現象みたいなもので、

意識して抑えていないと暴走する。

ハンセン病患者に対する差別の歴史から学んでいないから

こんなことになる。

つくづく歴史とか教育ってのは大事だなと思う。