「生きる意味」を考える人への進化論 

思春期や青年期、30代ぐらいまでは、境遇がいろいろと変化する

ので、生きることに考えることもよくある。

特に結婚や出産をするような年齢になったり、

仕事で忙しすぎたりすると、なぜ生きるのかと自問する。

私はこの時期に進化論や「利己的な遺伝子」など生命科学の論説に

出会って、その問いの答えを得て、とても生きるのが楽になった。

なぜ生きるのかの問いの答えは、もう単純明快。

種族の繁栄。自分と家族、同じ種である人間の存続。

それ以外にない。

進化論は、ダーウィンが唱えた論説で、この説をアップデートしたのが、

利己的な遺伝子」という考え方である。

この考え方の基本は、遺伝子が子に受け継がれるときにコピーミスを

犯し、その結果、突然変異が起きる。

その変化が生育環境に合致していれば生き残り、そうでなければ

淘汰されるという理論である。

生き残るかどうかは偶然でしかないということ。

そして、その遺伝子というのは、利己的に振る舞うようにあらかじめ

設計されているというのが「利己的な遺伝子」の考え方。

生物の生体というのは、遺伝子の乗り物に過ぎないというのである。

そして、ここからは私の解釈。

遺伝子の「意志」にそって人間を含むすべての生物は生きている。

その遺伝子の「意志」とは自己複製したいという以外にない。

自己複製するときに、どんなに環境が変化しても生き残れるように

コピーミスという変異の可能性を残しているというのが

生命がここまで多種多様に変化したゆえんである。

自己複製したいという「意志」をもった遺伝子だけが生き残る。

当たり前の道理だ。

宇宙が138億年前にできて、地球が46億年前にできた。

38億年前に海で最初の生物が生まれ、そこからさまざまに分派して

人間ができた。

すべての生命はたったひとつの生命体を起源とすることがわかっている。

そうして生まれた人間は生物の一種であり、動物の一種であるから、

遺伝子が意図するように生きざるをえない。

結局、種族の繁栄、自己と血族の延命以外に生きる意味はない。

それさえはっきりとわかれば、何も迷わない。

子どもを産み育てる。子どもを産まなくても、同じ種である人間の

繁栄のために生きるという意味がある。

そこに繁殖適齢期を過ぎても生きる意味がある。

同じ種であり、仲間である人間のために生きること。

つまり、助け合って生きることだ。

生きる意味。

子どもを産み育てること。

助け合って生きること。

それ以外に生きる意味などない。