ミスを折り込み済みで生きる 

「進化論」はチャールズ・ダーウィンの論説なのだが、

だいたい以下のようにして紹介される。

「生き残るのは、最も強い種でも優れた種でもなく、

環境の変化にうまく適応できた種である」

おそらく、ダーウィンはこんなことは言っておらず、

意訳によってこの言葉ができたのだと思う。

「環境の変化にうまく適応できる」などというと、

何か生物が意図とか意志をもって環境の変化に適応しようと

しているような印象を受ける。

ダーウィンのいう進化論は、ランダムに変異が起こっていく

中で環境に適合しないものが淘汰されていくことをいう。

逆に言えば、ランダムに変化が起こって、”たまたま”環境に

合致したものは生き残るということである。

この”たまたま”というのが重要なところなのだ。

生物の遺伝子には環境に適用しようなどという

意図や意志などない。

生殖が行われ遺伝子をコピーするときにコピーミスが起こり、

突然変異ができるだけのことだ。

あえていうなら、この突然変異こそが”意図”や”意志”と

いってもいいものかもしれない。

要は生き残るためのいわば作法を、突然変異という遺伝子のコピーミスに

組み込んでいるところが、生命の摩訶不思議なところであるわけだ。

だからこそ、進化論は多様性が大事であることや、ミスも折り込み済みで

生きることを私たちに教えてくれるのである。

人間にいろんな人がいるのは、人類全体が生き残っていくために

あらかじめ組み込まれた生命の作法なのだ。

そう考えたら、人の自分と違うところやミスも許せる気になるだろう。