「行間を読む」はもう死語

「行間を読む」はもう死語になったのだなと思う。

若い人には何のことやらわからないかもしれない。

昔は答えを全部書かなかった。

小説でもなんでも「それを書いたら野暮」というのがあった。

肝心なところは説明したり、結論を書いたりせず、

「わかるよね?」とあえて何も書かないでいたり、

読者の想像力に任せたりした。

でも、いまはそれは許されない。

編集者からも「やっぱり答えがほしいです」と言われてしまう。

「私の考えはこうだ」と書かなくても、文脈で、

「筆者はこういうことが言いたいんだな」とわかる。

そこを想像するのが読書の楽しみなのだが、

それよりもわかりやすさという実利のほうを取る。

「手っ取り早く結論がほしい」

そういうこと。

なんとも現代的ではないか。

想像したり、考えたりしている時間はムダってことなのか。

今の社会、今という時代を反映している。

当然なのだが、それでいいとは思えないのも確か。