ネット民は、ときに「マスゴミ」といってマスコミを批判する。
炎上を焚きつけているのはマスコミだ、
こんな不寛容な社会にしたのはマスコミのせいだ、という。
マスゴミの末席に身を連ねるものとして反論するとすれば、
こういうことになる。
ゴシップ記事はジャンクフードみたいなもんだってこと。
私もたまにはジャンクフードを食べるし、
ゴシップ記事も読む。
たまにはジャンクフードもいいが、そればっかりだと病気になる。
病気にならないようにするために、定食も食べないといけない。
定食で出された小鉢の中に、あまり好きでない食材や料理もあろう。
だけど食わず嫌いじゃなくて食べてみることだ。
新聞とか雑誌なんかは定食だろう。
興味のない記事や、たまに耳の痛い記事もあろう。
だけど読まずぎらいじゃなくて読んでみることだ。
「マスコミが悪」っていう人は、
日本人のことを、「自分というものもっておらず」
「偉い人の意見にのっかるしかなく」
「自分で何も考えたり、決めたりすることのできない」ような
「情けない人たち」と考えている。
個人個人がしっかりしていれば、マスコミなんて影響力はない。
マスコミなんて本来は大したものではない。
実際は多少の影響力はありますよ。
でも、「個人がしっかりしてれば問題なし」という前提に立たない限り、
私たちはいつまでたっても、
「自分というものもっておらず」
「偉い人の意見にのっかるしかなく」
「自分で何も考えたり、決めたりすることのできない」
存在であり続けることを甘んじて受け入れることになってしまう。
自分の頭で考えることは、最初は確かに苦労する。労力がいる。
けれど、それが当たり前になってしまえば、こんなに楽なことはない。
迷ったりモヤモヤしたりすることがなくなるからだ。
マスコミはこれからもまともな記事も出せば、
そうでない記事も出していく。
マスコミってのはそれぐらいのものなのだ。