現代社会はとかく「結果」や「成果」を欲しがる。
何らかの原稿を書くとき、どんな結果や成果が出たのかを
知りたくて、取材する。
だが、人生においては、結果や成果はそのときの一瞬を
切り取った、「現時点での通信簿」でしかない。
人生は長い。
どんな栄光を刻んだ人もそれがよかったか悪かったか、
死んでみないとわからない。
いや、死んだあとでも評価が変わるひともいる。
書物などに悪く書かれた人がのちの時代に評価されることもある。
そのように考えると、一時の通信簿を評価することに
ほとんど意味はないことになる。
だが、それを考慮したら何も書けないのも事実。
ならば、「現時点の通信簿」として、冷静に書くしかない。