「普通」の呪縛 

呪縛、呪い、洗脳……

こんな言葉で表現されている認識がある。

「普通である」

これだ。

日本の社会は普通であることがよしとされ、

そこから外れていると、大変に生きづらい。

取材に行ったり、勉強会に出たりすると、識者が

「この呪い、呪縛、洗脳を解かないといけない」

という。

和をもって貴しとなすと言われた聖徳太子の時代から、

農耕の民であった日本人は、周囲から突出することが

許されなかった。

「結い」という共同労働の約束が破られると、

農漁村の生活は成り立たなかった。

稲刈りはいうに及ばず、地引網や茅葺の屋根をふきかえるのも

みな村人が総出で手伝った。

いまはもうみんな都市に働きに出ているし、

職場で「人と同じことをやっていたらダメだ」と言われている。

だったらもう、ちょっと変わった人こそ、世の中を変える人だと

認識していくほうがいいんじゃないか。

違いは単なる違い。そこには優劣も善悪もない。

普通などクソくらえだ。