生きづらい社会への処方箋 その3 

時代は移って、第三次産業に多くの人が従事するようになると、

今度は斬新なアイデアを生み出すことが求められるようになった。

高校までの学習では唯一絶対解をいち早く見つけ出せるものが

優秀な人材であることの定義だったが、

大学や会社に通うにようになると、

途端に「斬新なアイデアを出せ」「人と違うことをやれ」と

言われてしまう。

そうして社会を渡り歩いた大人が子どもをもうけて、親になると、

子どもに「おまえはおまえでいいんだよ」「好きなようにやりなさい」

と教える。

そうかと思って子どもが学校に通いだすと、相変わらず、

突出することを許さない画一教育が行われているために、

子どもは学校に居場所をなくしていく。

大人は大人で、大学や会社に入ってから

「好きにやっていいんだ」「こんな生き方もアリなんだ」と

柔軟に発想を転換できた人は適応することができるが

そうでない人もいる。

とりわけ、発達障害があったりすると、仕事で失敗したり、

うまくコミュニケーションが取れなかったりして、

疎外感を得てしまうようになる。

急速に変わっていく社会の中で人の意識だけが取り残されているように、

私には思える。

制度は簡単に変えることができるが、人の意識は同じようにはいかない。

親の価値観、考え方は、自然と子ども世代に伝授されていく。

日本は島国で江戸時代が終わるまで外国人と交流することが

ほとんどない時代を長く過ごしたため、同じ文化的背景を背負って

いるように錯覚している。

だから異質なものを排除しようとする排他的な社会になっている。

そういう社会状況はダイバーシティなどといわれて昨今変化してはいるが、

まだまだその辺の意識は旧態依然としている。