職業観について

私はライターという職業は、たいしたもんじゃないと思っている。
その一方で、すばらしい職業だとも思っている。
この「たいしたもんじゃない」と「すばらしいこと」の間を
行ったり来たり、あるいはシーソーのようにバランスをとりながら
ゆらゆら漂っているというのが、私の職業観だ。
職業に貴賎はない。
そりゃあ昔から社会的には貴賎は存在した。
虐げられた人たちが望まない職業に就いていた。
しかし、現在の日本では職業差別はほとんどなくなった。
(もちろん、被差別部落出身者などへの差別はいまだに存在する。
しかし、ここではそのことには詳しく触れない)
どんな人も能力さえあれば、どんな仕事にでも就ける建前だ。
だから、親は子どもに「こういう仕事はどうか」
「こういう仕事に就いて欲しい」と言えばいい。
そして、そう子どもに言うなら、子どもの「こんな仕事がしたい」
にも真剣に耳を傾けるべきなのだ。
私の中学時代の友人にHくんというのがいる。
彼は小学生のころになりたい職業の欄に
消費者金融会社の社長になる」と書いたのだ。
ところが、担任教師はそういうのじゃなくて、別のにしなさい
といって彼をたしなめたのだという。
私はその教師に憤りを覚えた。
プロ野球選手より現実的な夢なのにな、と思った。
結局、その教師自身に差別意識があるのだよね。
自分のクラスの子どもが変なことを言い出すと困るわけだ。
差別意識というのは、自然に人間の心に芽生えてくるものだから
何が差別に当たるのか常に考えていなければならない。
私は子どもの職業について考えるときに常にこのことが頭にある。
子どもが小さい脳みそで考えたことには意味がある。
親の希望を伝えることは必要。
でも、自分の差別意識は伝承しないほうがいい。
だから私は子どもに「こういう仕事があるよ」といいながら、
子どもの「これをやりたい!」には、「いいね! がんばれ!」で
返したいと思う。