亡き人に敬意を添えて盃を交わす。
そのことを献杯という。
今日は、亡き人を思って、生前親交のあった人たちが集まった。
故人は50代前半で、私の16年の会社員生活すべてで
机を並べてきた仲だった。
10人に満たない小さな会社だから、仕事上のやり取りは
頻繁に行った。しかし、彼は締め切りぎりぎりになって
はじめてがんばりはじめるところがあり、しばしば問題が起こった。
それを共通の上司に訴えたことが、一度あった。
彼の生活は、自分を大事にするところから遠く離れていて、
言葉にするわけではないが、投げやりな風情だった。
外見にも構わず、仕事と趣味の世界だけの人だったように見えた。
今年1月末にほぼ1年ぶりに仕事を彼に依頼した。
昨年もやってもらった仕事の今年版をつくってもらうためだ。
いま思えば、そのときも声に張りがなかった。
今年2月中旬に入院し、2週間ほどで帰らぬ人となった。
彼の仕事ぶりに腹が立つこともあったが、
時間が経つとまた一緒に仕事がしたいと思えるような、
不思議な人だった。
何より、私がいた16年間、いつも優しかった。
投げやりな、あきらめたような生き方だったが、
いなくなって悲しむ人がいるのだということを、
彼は今日の献杯をどこかから見て悟ったのではないか。
もう少し、自分を大事にしてほしかった。
自分の命は自分だけのものではないのだから。
フリーランスになるときに、彼に名刺をデザインしてもらった。
この名刺を誰かに渡すとき、たまに思い出すだろう。
そしてまたみんなで集まって思い出を語りたい。