文章を書くということ

疲れた心と体に、はい、1本。
名言サプリ 其の225


文章書くっていうのは、人のことを書いているようで
結局、自分のことを書いているんだなあ。


これを私に言ってくれたのは、あるベテラン編集者さんだった。
私が仕事をはじめて3〜4年のころだったと思う。
彼は私に押しつけがましくなく、説教くさくなく、それとなく、
書くということの極意を教えてくれたのだ。
背景はこうだ。
当時、私は中国や北朝鮮、韓国に関する本を作っていた。
本の内容は、日本の検定教科書について、これらの国が
内政干渉をしてくることについて批判したものだった。
著者が書いた原稿に、私と彼とで赤字を入れていった。
そこに、「韓国の人」と書かれていたのを見つけた彼は、
「ここは『韓国人』でいいだろう。中国人、アメリカ人、韓国人だもんな」
といった。そのあと、冒頭の言葉を言ったのである。
つまり、「韓国人」と書けないのは、書き手の中に
差別心があるからだということが彼は言いたかったのだと思う。
言葉にするときには、書き手もわからないレベルで本心が出ることがある。
「今日もおきれいですね」と「今日はおきれいですね」
では雲泥の違いで、褒めるつもりが逆の意味になる。
文章にするときにも、やっぱり自分が出るのだ。
書くということは、本当に奥が深い。