変えるべき伝統と、そうでない伝統

暴行を働いた横綱が引退するというので大揺れの大相撲。
貴乃花が無言を貫き、相撲協会を改革しようとしていることはわかるが、
いかんせん何もしゃべらないので、メッセージが伝わってこない。
こういう仕事に携わる人は、マスコミをうまく利用して、
自分が有利な立場になるようにもっていけばいいのだが、
そういうことを助言する人がいないのだろうね。
それはさておき、問題の核心は暴力である。
格闘技の場合などはとくに、しごきという名の暴力的指導が行われる。
柔道とか剣道とかもそうだ。
これと暴行とをどう区別すべきなのか難しいのはわかる。
柔道とか剣道などの武道や、相撲などはスポーツではない。
スポーツは余暇活動として生まれたものだが、
武道は戦争のための鍛錬として生まれた。
そのためどんなことをしても勝てばよかった。
負ければ死ぬわけだから、それでいいわけだ。
しかし、時代が下って平和な時代になると、それが精神修養のために
利用されるようになる。
ここから武道は勝てばいいものではなくなった。
剣道でガッツポーズをすると、「1本」が取り消せるのや、
相撲で相手をケガさせない「かばい手」で相手より先に手をついても
負けにならないのはそういう意味だ。
勝てばいいものではないから、横綱が張り手なんかやると、
横綱審議委員会から苦言を呈されるわけだ。
相撲をスポーツとして見ていると、こういうことは理解できない。
だから、相撲はスポーツになる必要はなく、
すべてはっきり白黒つける必要もないということになる。
相撲界は、守るべき伝統と、そうでない伝統が区別できてない。
暴力的なしごきは、いまの時代に従ってなくなるように
していかなくてはならない伝統だ。
しかし、様式美であったり、横綱の品格、かばい手のようなものは
断固として守っていかなければいけない伝統だ。
これらが整理できていないから混乱していると思うのだ。