いまの親は暴力に寛容

アラフォー以上の人たちは暴力に寛容なので、
たまに話をしていてびっくりする。
そういう人たちはだいたい「殴る側の愛情」とか、「必要悪」
といったものを持ち出すのだが、愛情をともなった暴力と、
愛情のない単なる暴力はどうやって線引きするのだろう。
アメとムチでしか動かせなくなったら、それは芸を仕込む
サーカスの動物と同じだろう。
ムチを打たなくてもいいように、言葉を発達させて、
言ってわからせるようになったのが人間だ。
「言ってわからんやつ」を「言ってわからせる」ようにするのが、
大人の役目であり、教育者の責任だろう。
暴力を背景に従わせるのは、指導力がないことの証拠。
現に、子供に指一本触れないで、やんちゃくれを立派に厚生させている
人が世の中にはたくさんいる。
彼らは言葉と愛情で最初は「言ってもわからない」若者を
「言ってわからせる」ようにしてきたのだ。
親の世代は部活や何かで、暴力が身近にあったので、
ついつい「必要な暴力もある」と考えてしまう。
過去に暴力をふるわれた思い出は美化されてしまっている。
それが指導者の甘えにつながる。
「親もこれぐらいなら許してくれるだろう」と思ってしまうのだ。
教育現場での暴力をなくすには、まず親が暴力は絶対にいけないと
指導者に言うしかない。
そういう社会の雰囲気が、やがては社会全体から暴力をなくすという
方向につながっていくはずだ。