文武両道を最初から諦めるな

高校野球、甲子園大会が真っ盛りだ。
この時期、決まって話題になるのが、
文武両道は可能なのかどうかだ。
甲子園に出てくる学校でも、たまに進学校がある。
ほとんどの選手が国公立大学に進学するようなチームだ。
その一方で、どうしようもなく荒れた学校を
野球部の活動を象徴して改革に取り組んでいる学校もある。
私立校はもっと単純に学校の名前を売る手段として
高校野球をとらえているところもある。
そんななかで文武両道など無理という指導者もいるようだ。
文武両道は、野球に没頭しないことの言い訳という人がいる。
私は反対ではないかと思う。
甲子園を目指すことは、勉強をしないでいい理由にはならない。
「一流を目指すには犠牲も必要」という人もいる。
でも、勉強だけは犠牲にしてはいけない。
さらに「野球で学んでいる。教室だけが勉強の場ではない」
という人もいる。
それはそのとおりだが、だからといって教室での勉強を
おろそかにしていい理由にはならない。
勉強は、テストの優劣はしかたないが、誰もが一生懸命に
やらなければならないことだ。
それは自立するため、社会を安定なものにするために必要な
ものだからだ。公私において重要なのだ。
スポーツや芸術ができればいいといって、
勉強をしないでいると、それらで食い扶持を稼げなかったときに困る。
いまの世の中は勉強はできないより、できる人のほうが活躍できる。
自分で稼ぎ、自分で食い扶持を得ていくために勉強が必要だ。
これが私の部分。
もうひとつ公の部分としては、勉強して一般常識を身に着けていないと、
世の中の安全、公平が保たれず、生きにくい世の中になるからだ。
たとえば、自分の収入が多くても、人から差別されていると幸福になれない。
どんなことが差別にあたるのか、勉強することが必要だ。
公私ともに勉強していないと幸せは得られない。
まず学校の勉強を土台に考え、その余剰でスポーツや芸術に励むこと。
そして、超一流の選手というのは、勉強もしっかりやっている。
勉強して自分で考える頭をしっかりもっているから、
競技でもいい結果が出るのである。