発達障害と進化 後編

私は、発達障害の人というのは、進化の過程で現れた
ニュータイプなのではないかとさえ思っている。
ニュータイプといえば、機動戦士ガンダムアムロ・レイなんかも
自閉症傾向があるように見受けられる。
……と、ここまで書いたところで、初めて「発達障害 ニュータイプ」と
ネット検索すると、同じようなことを述べている人を見つけた。
そうなのだ。
発達障害の人は、少し早く生まれてしまったのかもしれない。
社会が未成熟なせいで、少数派を許容できないのだ。
ここでもう一度、進化の話を思い出してほしい。
ある特徴が遺伝子の引き継ぎ(遺伝)によって引き継がれるかどうかは、
その特徴が生き残りに有効かどうかによる。
首が長いほうが生存に有利だったキリンは、
その特徴が何世代も引き継がれて強調されていった結果、
首が長い動物になった。
これと同じように、発達障害が示す特徴が生存に有利な状況、
たとえば、仕事でたくさんのお金が稼げる、といったことになれば、
その特徴は引き継がれていき、多数派になる。
そして、環境の激変が起こったときには多様性があったほうが、
その種全体として存続に寄与する。
つまり、人類が存続するためには、いろんな遺伝子、いろんな人が
いたほうがいいのだという結論になる。
その意味で、寛容さが必要なのだが、私たちの社会は
そうなっているのだろうかと思う。
社会が不寛容になっているのは、多数派が少数派に圧倒され、
逆転されるのを恐れた抗いなのかもしれないとさえ思う。
ところで、ガンダムアムロは、ガンダムの操縦に長けていたことで、
協調性のなさなどは許容され、排除されることなく、
最終的には周囲の人とうまくやっていけるようになる。
これは認知症などにも言えることなのだが、要は
人間の持っている(現存する)能力をいかに有効に使っていくか。
経済主体、システム主体ではなく、人間主体の社会をどうつくっていくか
その知恵が求められているんだと思う。