不自由と不寛容

ひきこもりと認知症の問題は似ているところがある。

周囲がおおらかだと、

「ちょっと変わっているね」「とぼけたおじいさん」

ですむ。

問題にしてしまっているのは今の社会のほうなんだよね。

発達障害もそうだ。

「ちょっと変わっているね」ですむ社会がある。

それですまないのは、社会があまりにも効率を求めて、

均質化させようとしてきたから。

外れたものを容認できない。

どうしてこんなに不寛容になってしまったんだろう。

他人に対して寛容であることは、

自分自身が許されるということでもある。

許されるということは、自由であるということでもある。

この社会の不自由さは、不寛容から来ている。