「囚われない」こと、「赦す」こと

去年は臨済宗のお坊さんの話を聞いて本にした。
今年はプロテスタントの牧師さんの話を聞いて本にする。
宗教は違っても言っていることは似ている。
仏教でよく出てくるのは「囚われない」という言葉だ。
万物は流転し、変わらないものなどない。
川の形は同じでもその水は同じではない。
だから、物事にこだわってもしかたない。
こだわらないこと、囚われないことが大事だという。
一方、キリスト教の根本は「赦し」だという。
イエス・キリストによれば、神の前では誰もが赦されるという。
相手も赦すし、自分も赦すということだ。
この「囚われない」と「赦す」は同じことだと思う。
相手を赦せないのは、相手の言動に囚われているから。
囚われることなく、相手を赦すことができたら、
世の中のすべての争いはなくなるだろう。
間違った宗教の考えで争いが起きるなら、
それを沈めるのも宗教の力でしかないのかもしれない。