自分の行いを振り返る

大学生のころ、ある仏教から出た新興宗教の信者に熱心に
入信を誘われたことがある。
彼ら彼女らに言われたことで2つのことだけ
はっきりと覚えている。
ひとつは、釈迦は宗教を興したから尊敬されたのではない、
その行いによって尊敬されたからそれが宗教になったのだ
という意味のこと。
そういう釈迦の精神を遠くで受け継いでいる彼ら彼女らが
次に言ったのが、もうひとつの覚えている言葉。
「あなたはこのチャンスを逃したら、
このあとの人生でもうチャンスが来ないかもしれないよ」
こういうのを脅迫という。
私は当時、何の悩みも不安もなかったので、
「将来、悪くなる」という不安を新たに生み出して、
その未来の不安を解消する事前の手立てとして
入信をしろというのだ。
私はこの言葉を聞いた瞬間に、「あ、この宗教団体はまやかしだ」
とはっきり判断できた。
他の人ならこれで落とせたのだろうけど、相手が悪かった。
こんなひねくれものには、正攻法は通用しない。
釈迦の行いを学んだなら、自分の行いがそれでいいのか
教義に照らし合わせて点検してほしい。
自分の言っていることとやっていることを一致させるのは、
難しいことだけど。