今年の中秋の名月は9月19日で、
なんと久しぶりに満月になるのだそうです。
暦の関係で「中秋の名月」は必ずしも満月になるわけではなく、
今年を逃すと2021年まで満月は見られないらしい。
かつて中世までは花見よりも月見のほうが庶民に定着した
イベントだったそうだ。
花見も月見もハレとケでいうと、ハレの日ではあるが、
夜に開催される月見のほうが大手を振って酒が飲めたからだろうか。
戦後しばらくまでは月見は庶民に定着していたが、
いまでは日本庭園などで開かれるイベントのひとつになってしまった。
というのも、昭和に入って電灯が導入され、外灯が設置されるようになり、
外でも暗さを実感することが少なくなり、
月明かりの明るさを感じる場面が減ったからではないか。
昔、外灯のないころは、月明かりを頼りに人々は行動した。
それゆえに、月の明るさはある種、神秘的な趣をもっていた。
昔の人はその月を池や杯などの水面に写して鑑賞したという。
銀閣寺は月見をたのしむ構造になっているという研究もある。
直接見るよりも間接的に見るほうが、趣があるということなのだろう。
静岡県の楽寿園にある小浜池や井の頭公園の池などでは、
年々水位が減少しているという。
こういう水をたたえた景色を「いいものだなあ」と思うには
相応の仕掛けが必要だ。
その仕掛けとして、月見は格好の舞台装置だと思う。
湧水池の水位の減少は、自然環境の改変によって
もたらされるという説がある。
水をたたえた景観を維持するには、環境保全が必要だ。
月見をすることで、水面を眺める景観を「いいものだなあ」と
思える感性が育てば、自然環境を豊かなものにしようとする
意識も育つと思う。
月見を現代に本格的に復活させたいものである。