『明日の記憶』

映画がよかったので、原作の小説のほうも読んでみた。
驚いたことに、この小説は若年性アルツハイマーである主人公の
一人称で、単視点で書かれていた。
だんだん記憶が不確かになっていく様子が、客観的にではなく、
主観的に書かれているのだ。
小説というのは、一人称の場合、その主人公の体験を追体験する
ようにできているから、読み進めていくうちに、自らが若年性アルツハイマー
になったような錯覚に陥ってくる。
映画化のときに、映画っぽいシーンを追加したらしく、
小説ではあまり事件らしい事件は起こらず、主人公が記憶を失っていったり、
覚えられないでいる様子が淡々と書かれている。
私は、クサイかもしれないけれども、もっと印象的なフレーズを
聞きたい、読みたい人なので、あまりにもリアルな小説は、
少々物足りない感じがした。
でも、現実はそれほど劇場型なわけはなく、淡々とした日常こそが
その人の生きる現実なのだから、これはこれでいい。
自分をつくってるのは、過去の経験と記憶であり、
過去の経験は失われないが、記憶が失われていく。
記憶にもいろいろあって、情動(感情)にまつわる記憶ほど、
その人に深く刻み込まれていて忘れにくい。
また、体で覚えたことも忘れにくい。
認知症になっても裁縫などの技術が衰えない女性は多い。
そして、覚えることが難しくなり、新しい記憶ほど先に失われていく。
自分をつくっているのは、記憶なのだから、それが失われると
自分自身がほどけていく。最後は何もわからなくなる。
たぶんそういうことになるんだろうけど、
主人公も最後、妻の顔も忘れてしまう。
アルツハイマー型の認知症は感知することはないので、
この小説にも救いはないのだけど、何かわからないが、
単に絶望だけが描かれている小説でもないという気がした。