「明日の記憶」

認知症の本を何冊も読んで、本の企画としても考えているので、
認知症のひとつとして数えられる、アルツハイマー病を扱った
本作品は興味深い内容だった。
結構大きめの広告代理店で部長を務める主人公の佐伯は、
50歳を目前にして、医師から病気について宣告される。
妻以外の周りの人に、病気をひた隠しに隠し、
娘の結婚式までは「働くお父さん」であろうとする。
しかし、病魔が襲ってくる恐怖と不安感から、自暴自棄になったり、
精神的に不安定になる。
これまで読んできた認知症の本に書いてある通りの反応を
見せる主人公が痛々しくてつらかった。
仕事で失敗するシーンなどはとても見ていられなかった。
現実はとてもこんなもんじゃ済まないと思う人もいるかもしれないが、
映画というのはリアルさを見せつけるだけじゃなく、
絶望の中にもどこかに救いがあって、見た人がその救いを
自分なりのやり方で絶望の淵からすくい取ってみるところに
意義があるのだ。
その救いがどこにあるのか。
やっぱりそれは病気をした本人と、周りで支える人の関係だと思う。
この映画では佐伯の妻の枝実子さんなのだと思う。
仕事人間で家庭を顧みなかった夫を許し、
傍にいて常に不安を取り除くような言動で励ます。
いかに愛あれど、できることではない。
夫婦なんて所詮他人というけれど、その他人の距離感が
ちょうどいいんだろうなと思う。
血のつながった親子なら、また別の問題の現れ方があると思う。
序盤からもう見るのが辛くて、感動じゃなく、辛い涙が出る。
なんというか、やりきれなさみたいなのが半端ない。
欲を言えば、主人公や家族の人たちの口から、もっと人生訓めいた
せりふが聞きたかった。何か希望が持てるような言葉を、
もっと吐いてもよかった。
そんな中でも大滝秀治扮する、陶芸家が終盤にこういう。
「生きてりゃいいんだよ、生きてりゃ……」
この陶芸家も実は痴呆症に片足を突っ込んでいる。
佐伯がこの境地に達するには時間がかかるだろう。
仕事以外のことに価値を見いだせなかった男には難しいと思う。
「用の価値」じゃなくて、「存在の価値」を認められる社会に
ならないといけないね。生きてりゃいいんだから。
小説のほうもベストセラーになっている評判の作らしいので、
近いうちに読んでみるつもりだ。