「カラン」事件

実家に帰ると、実母&嫁のタッグと私との、
変則無制限一本勝負の激論が交わされる。
結論は「男にはわかんない」になるのを理解したうえで
ゴングは鳴る。
前からよくある女性陣の不満が
「シャワーを使ったら、蛇口の方に切り替えてくれないと。
それを何度も言っているのに(夫は)やってくれない」
というものだ。
曰く、蛇口から水を出そうとしてシャワーを浴びてしまい
「びゃー!!」とか、「ぴやー!!」とかいった奇声を発する
羽目になってしまうのだという。
私はいう。
「自分が使うときにシャワーになってるか、蛇口になってるか
確かめればいいこと」
「自分が不意にシャワー浴びたら、確認してから水を出せば
よかった、自分が悪かったと思う」
で、反論がこうくる。
「使ったら元に戻すのが常識」
こっちも応戦する。
「シャワーか、蛇口か、どっちが元かなんて誰が決めた?
トステムが決めたんか?!」
「常に蛇口から出すのが元と考えれば、水をかぶらなくてすむ!」
などと延々1時間ぐらい続く。
こういう話は嫌いではないからとことんつきあう。
女性は、話すこと自体を目的に話すのであって、
愚痴をいうのは話す相手との社交の一つであり、
それほど夫に不満がないこともままある。
もちろん、男女の考え方が違うから、わかりあえないことがある。
わかりあえないことの方が多い。
でもたまにわかりあえるときがあるから、人生はおもしろい。
私は思う。
たとえそれが配偶者であっても、自分以外の人間を変えることは
相当難しいということ。
唯一の方法は、自分がその相手との付き合い方を変えること。
自分の対応の反応として相手は自分の気に入らぬ行動に出るのだ。
相手を「そのように」しむけるよう自分の行動を変える。
相手の性格を判断し、時には強い態度に出て、時にはさびしげに振る舞う。
私はこれで何回も人間関係を良くすることに成功している。
これはかなりの心理戦である。
ゲームなんかよりよっぽどおもしろい。
それでも変えられなければ、諦める。
「こうであってほしい」という思いを捨てる。
相手に対して不満を持つのは、相手にこうであってほしいという
一種のこだわりがあるからだ。こだわりを捨てたら楽になる。
「彼はそういう人なのだ」これでナットクである。
自分だって人に変えられたくないのだから、
相手にも変わることを強要しない。
でも相手をそれとは気づかないうちに誘導することはできる。
だから人ってのはおもしろいんです。