気づける人になる方法

たまに大学の講義に駆り出されてゲストスピーカーでしゃべったり、
高校生に働くことの意義を伝える役割をおおせつかるのだが、
そのとき私の脳裏をよぎることがある。
それは私が過去に取材したことのある企業経営者で、
有名大学でも講師として授業を担当する方の話だ。彼は、
「どんなにいい話をしても、学生の心にフィルターがかかって
いるときは、耳に入らないことを痛感した」
というのである。
以来、高校生や大学生にかかっているフィルターを想像し、
何を言えばいいのかわからなくなってしまった。
確かに自分にも経験がある。
子どものころ、大人たちがすごくいいことを言ってくれていたのだけど、
忘れてしまっていて、大人になってから「いい話だな」と気づく。
「確か子供のころにもこんな話聞いたよな」と。
人だけでなく、物事にも縁があるといったのは、作家の五木寛之であった。
人がいいと言っている小説や映画、音楽が自分にはいいと思えなくても
悩む必要はなく、縁がないだけなのだと説いた。
その時がきて、その状況になれば、いいと思えるときがあって、
それこそが縁があったということなのだというのである。
縁なき状態とはフィルターが掛かっている状態のことをいうのだろう。
でも、その時、その状況になり、縁ができたら必ず気づくことができる。
その気づきの縁を増やすほど、早く成長できる。
どうやって気づきやすい自分をつくるのか。


時がたって最近になってもこんなことも思う。
帝京大学ラグビー部の岩出雅之監督が、著書で
「ゴミ拾いの大切さ」について書いている。
理由は、2つあって、ひとつはものごとをきちんとやる習慣を
つけることと、ひとつは自分がやらなくてもいいことを、
みんなのために自分がやることで、フォアザチームの心が生まれる
からだという。
私はこれに、「小さなことに気付くことができるようになる」ことも
勝手に加えたいと思った。
目の前のゴミを拾うという、その訓練を日々続けていくことで、
小さなことに気付けるようになる。
これもある有名な企業経営者だけど、大きな会社になった今でも
自分で会社のトイレ掃除をするという。
「小さな汚れを見つけることで、小さなことに気付けるように
なるための訓練になるから」だそうだ。
小さなことに気づけるようになると、テレビを流れる一瞬の
コマーシャルからも何かを学べるようになる。
当然、成長のスピードは速くなる。
人はいろんなフィルターをかけて世の中を見ている。
生まれながらにもっているものもあれば、
苦い人生経験を通して獲得したものもあるだろう。
そのフィルターを取っ払うには、目の前のゴミを拾うことだ。
小さな気づきの積み重ねが大きな成長になる。
たぶん、そういうことだろうと思っている。