「環境」がわからない

洞爺湖サミットがあるので、環境関係の話題が多くなっています。
サミットが終わってもこういう議論を忘れないようにしないと
いけませんね。
ここ数ヶ月、森林インストラクターの試験勉強をするのと同時に
環境関係の本も読みあさっています。
正直、知れば知るほどわからなくなることばかりです。
私たちの生活が地球の環境システムに及ぼす影響は
複雑すぎて到底すべてを掌握しきれません。
私たちが1つの「環境によい行動」を起こすとき、
まず環境という言葉からして、よくわからない。
人間にとっての環境と、動物にとっての環境、植物にとっての環境は
それぞれ違います。人間にとってよい環境が他の動物にとって
いいとは限りません。
たとえば、「レジ袋を拒否し、マイバックを持つ」という行動が、
人間にとっていい環境にするためなのか、
動物にとっていい環境にするためなのか、正直よくわかりません。
たぶん「人間にとって」でいいのでしょうけど、たまに
ホッキョクグマが絶滅しそうで大変だ」というものだから、
どっちを優先すればいいのかわからなくなってきます。
一事が万事なので、とりあえず私は目に見える範囲で
「なんとなくよさそうだと思えること」
「明らかに効果があること」からやるようにしようと考えています。
たとえば、私はレジ袋を極力もらわないようにしていますが、
それはゴミを減らすためです。決して地球環境のためではありません。
レジ袋はゴミ袋として使いますから、ストックしているレジ袋が
なくなれば、レジ袋をもらいます。
そうしないと、新たにゴミ袋を買わなければならなくなるからです。
ゴミは減らせば、目に見えて効果がわかります。
こまめに電気を消すのも節約のためだし、車で外出するとき
急発進をしないように心がけるのも、ガソリンの値段が
高いからであり、地球温暖化を防ぐためではありません。
できるだけペットボトルは買わないようにし、たまに買っても
何度か使ってから捨てるのは、ものを大切にする心からやっている
ことなのです。
こういう行動が温暖化を防ぐことにつながるとは
まだ自分の中で思えないからです。
光熱費にしてもガス代にしても節約すると、
目に見える数字となるのでやろうという気になるのです。
環境問題を論じる前に、どういう環境が誰にとって理想的なのかを
話し合わないと、誤解したまま話が進み、末端の生活者に無駄な
努力を強いるようになると思います。
サミットではそういうところに期待したいです。