願いと叶い

七夕のとき、短冊に願いを書くと叶うなどという、
人の欲望とイベントとを合致させた習慣が行われるようになったのは
いつからなのだろう。
流れ星に願いごとをすると叶うというのも、その類だろう。
私はこれまでこのブログで大人たちが短冊に書いた願望をさらしてきた。
「今月は給料が出ますように!」といったせつないものから、
「バブル再来!」というちょっとほほえましい願いもあった。
この人たちも昔は、プロ野球選手になるとか、
25メートル泳げるようになるといったかわいらしい願望を
短冊に書いてきただろうに、嘆かわしい。
世の中にはこのように「〜すると願いが叶う」という伝承が多い。
観光地には無数にそういう話がある。
どんだけ願いをかなえたいんだ
と、私は思わざるをえないのである。
だから私は神社に言っても願い事をしないようにした。
「自分でなんとかする!」なんて勇ましいものではなく、
願い事ばっかりしている自分に、いつか嫌気がさしそうだから。
願望は誰かに祈るものではなく、自分で口に出して
そうなるように自分を仕向けていくもの。
自分をその気にさせていく。
まあでも願うとしたら、自分ではどうにもできないこと
たとえば、交通事故に遭いませんように、
ぐらいでいいんじゃないかなと思う。