育児には流行がある

相方の中学時代の同級生の家族とレジャーを楽しんだ。
子どもが遊ばせられる施設で、大いに遊んだのだが、
子育ての話のなかで考えさせられることがあった。


赤ちゃんは離乳食をはじめる前に、まず果汁を与えることから
はじめるようにと医師の指導というか、なんか行政の指導の
ようなものがかつてあったというのだ。
相方の同級生の奥さんは、「第一子のときは、医師からしつこく
いわれたが、第二子のときは果汁を与えるという指導そのもの
がなくなっていて、あのときの医師の強い口調はなんだったのか」
と言っていた。
マニュアルを重視する医師が多くて、責任を回避したい意味もあって
マニュアルを順守するように母親に対して強くいうのだろう。
けれど、どっかで偉い人達が「それ、やんなくていいだろう」と
なったら、あっさりそのマニュアルも変わるわけだ。
こういうことが昔から繰り返されている。
昔はうつ伏せ寝をさせるのがよい、といわれていたが、
いまはうつ伏せ寝をさせるときは注意が必要、させる必要はない
みたいなことになってきて、コロコロ変わる。
いまの母親は、自分の母親や姑との関係が薄くなってきて、
子育ての情報はもっぱら育児書かネットで得る。
その育児書も、本によってまったく違う方法論を唱えている。
何を信じればいいか母親は迷う。
医師や育児書、ネットから得た情報で共通するものだけを拾い、
しかもそれを絶対に守らなければならないものじゃなく、
できるだけそうしようというぐらいの大らかな気持ちでいいのだと思う。
育児にも流行りというものがあり、時代の空気と合ったものが流行るだけ。
なかでも共通するものだけを取り出せば、普遍的なものが見えてくるはず。
父親の育児にしても、育児書なんかには
「こうすると、人見知りな子になる」とか、
「ああすると、頭のいい子になる」と書いてあるが、
1つやったから、1つ個性ができるなんてほど、
そんな単純なものじゃないだろうと思う。
だから、(本をつくっている身ながら)方法論だけを述べる育児書などは
ほとんど読まない。
流行に流されず、「このように育ってほしい」という思いを親自身が育て、
そのような方法を自ら生み出すというぐらいでちょうどいい
という気がしている。