なぜ必要以上に不安になってしまうのか

それほど貧乏なわけでもないのに、
なぜか必要以上に不安になってしまう日本人――。
そのわけが、最近やっとわかったような気がする。
メディアに登場する評論家やコメンテーター、学者など、
有識者といわれる人たちは、
不安をあおることでしか商売がなりたたないからだ。
多くの人は儲け話よりも、損害をこうむる話のほうに興味をもつ。
儲け話には、「そんなうまい話はない」と思うのに、
損害をこうむる話だと、「それは大変だ!」となってしまう。
成熟経済では新しい消費意欲を喚起するために、
不安を煽るというマーケティング手法が用いられる。
人々がもともと持っている気質に加え、
マーケティング手法を加味されることで、人々は不安になり、
何かを買わなければならないような気にされている。
極端な言い方をすれば、「将来安泰だ」という人はメディアでは
相手にされず、「大変だ大変だ」という人のほうが珍重される。
それに、どんな事柄でも褒めるより、けなしたほうが賢そうに見える。
「日本代表はベスト4に勝ち進む!」という人より
「日本代表は1勝もできない」という人のほうが、サッカーを知っている
ように見えるし、「あそこの味は落ちた」という人のほうが、
いかにもグルメに思える。
「日本はこれから大変だ」といったほうが賢そうに見える。
みんな見得の張り合いをやっているのだ。
そんななかでどうやったら、不安にならないで済むか。
メディアの情報に触れないでいるしかない。
新聞・テレビ・雑誌を見ないで暮らしたほうが、
実は幸せになれるのかもしれない。