通ってきている人

仕事の日は7時45分ごろ家を出る。
だいたい子どもが起きるのが7時過ぎなので、
朝、顔を合わせるのが30、40分程度だ。
夜は家につくのがだいたい午後9時過ぎになるので、
7時過ぎに床につく子どもはすでに眠っているという生活だ。
たまに子どもが眠る前に家に着いたりすると、
「とうたん、きた!」
という。
そして、朝、家を出て行くときなどは
「またね」
という。
私のことを
「たまに来るおっさん」
と思っているのではなかろうかと思う。
「通っているわけじゃないんだよ。ここに住んでいるんだよ」
とたまに念を押している。
言葉を知らないだけなのか、本当に「通ってきている人」という
認識なのか、2歳児のことだけにそのへんはよくわからない。
子どもがどういうふうに周りの大人や、さまざまな環境のことを
認知していくのか、想像がふくらむ。
子どもは最初自分のことを名前で呼ぶが、成長して
「自分で自分のことをいうときは、〝わたし〟というのだ」
ということがわかるようになると、
かってに自分のことを私というようになるという。
その他にもモノの名前には、それ自体の名前と、種類と、色と
素材を表す属性があることに気づく。
たとえば、お皿であり、食器であり、白であり、プラスチックである、
ということを理解する。
2歳児はモノ自体の名前と色ぐらいしか理解しない。
いつごろそういうのを理解するのか。
そういうのを観察するのもたのしい日々なのでした。