進化について考える その2

「進化は突然変異という偶然の産物」
これを知ったとき、私は愕然とした。
というのも、動植物たちの「生き残るための戦略」に
感動することが多かったからだ。
彼らはものすごい知恵を働かせて、自分が生き延び、子孫を繁栄させる
ことを可能にしている。
そこから人間も学ぶべきことがあると思っていた。
しかし、その進化が突然変異によるものならば、
そこに「意志」など存在せず、生き残ったのは単なる偶然になる。
単なる偶然なら学ぶ必要もないかもしれない。
私は動植物に「生き残ろうとする意志」があってほしかった。


ところがそこまで考えたところで、またこう考えた。
「突然変異そのものが、生き残ろうとする意志なのではないか」と。
動植物には個体そのものが生き残ろうとする本能がある。
生殖についても確実に子孫を増やそうとする仕組みがある。
それが突然変異によるものだとしても、その変異を生み出すものこそが
絶滅回避のためのリスクヘッジ策なのではないか。
そう考えれば、動植物にも「意志」があると思っていい。
私たちがいうところの「意志」とは少し意味合いが違うかもしれないが、
似たようなものと言えるのではないか。
単なる偶然なのではなく、彼らが生き延びたい(それは種としても、
個体としても)と思っていると言えなくもない。


とすると、子どもが自分のコピーではなく、
進化の産物だと考えることができるし、
コピーではないのだから思ったように育たなくて当たり前だ
という考え方にも行き着く。
であるならば、人間という種にはそれこそ違いが
あって当然だという考え方になっていく。
子どもを生み育てること自体が、人間という種の進化に
一役買っていることになるわけだ。
ここまでくると、自分で学んだり成長して得たものがその後の世の中に
生かされない、果ては生きていたってしかたがないと嘆くこともなくなる。
生きる意味が出てくるのだ。
実は進化について考えることは
人生の意味を考えることなのだと気づいたのでした。
(その3につづく)