不寛容が仕事を奪う

サッカーや野球での「ビデオ判定導入」に思うのは、
不寛容社会の象徴だなということ。
ミスが許せないんですね。
審判やレフリーがミスしてはいけないものと思っている。
なんというかまあ、みんなテレビゲームのやりすぎだよね。
ゲームの中のサッカーや野球には誤審はない。
だから、現実の競技にも誤審を許せない。
でもね、選手もミスするんだから、審判だってミスするよ。
それも含めてスポーツでしょ。
そうやって人間がやるからおもしろいんでしょ。
この不寛容を突き詰めていくと、審判やレフリーは
AIにならざるをえない。
不寛容社会がAIを推し進めるといってもいい。
機械なら間違わないでしょ、というわけだ。
でも、そういう意識は回りまわって自分の仕事が奪われることに
つながっていくことに、みんな気づいてない。
そもそも多様性から人間の面白さは生まれる。
多様性というのは、突然変異と言い換えてもいい。
遺伝子のコピーミスだ。
人間はミスがあるから進化する。
ミスを糾弾する文化からは何も生まれない。
何より生きづらい。
でも、この傾向はちょっと止められないだろう。