進化について考える その1

動植物の進化の歴史については以前から興味があった。
生物が生き残っていこうとする「意志」には、神秘的なものがあり、
自分の生き方を考える上でも大変勉強になることばかりだからだ。
たとえば、植物の生育には生理的適地と生態的適地があって、
生理的に適地であるより、他の植物との関係性の中で少し我慢して
生きなければならない生態的適地のほうが大きく育つケースがある。
他の植物との競争によって発育が促進されるからだ。
これは人間にも通じることで、少人数教育より大人数教育のほうが
成績が上がることがある。塾などでは大人数教室で勉強するほうが
競争するからなのだ。
だから通常は大人数で学び、わからないところは個別に少人数で
個別に教えてもらうといった具合に使い分けるのがいい。
そんなわけで、ともかく自然の摂理を学ぶのはとてもおもしろいのだ。


で、進化についてなのだが、
私は常々、こういう風に考えていた。
たとえば、私がこれからの時代は背が高いほうが生きていくのに
好都合だと思ったら、子どもにもその「意志」が伝達され、
遺伝子が子に受け継がれるとき、そのように変異していく
と思っていた。
しかし、「別冊 Newton」の「ダーウィン進化論」によると、
そういう風に考えていたのはラマルクという学者で、
現在はダーウィンの進化論が一般的に正しいとされているというのだ。


ではダーウィンはどのように考えたかというと、
「進化は突然変異によって起こる」ということである。
子が親から遺伝子を受け継ぐとき、父親と母親の半分ずつを受け継ぐが、
遺伝子をコピーするとき、なんかの手違いで間違いが起こる。
これが突然変異となる。
で、この突然変異が環境に適しており、生き延びたり、
子孫を繁栄させるのに好都合であればその特徴をもった個体が
生き残ることによって、進化が起こるというのである。


このことはキリンの首はなぜ長いかで説明される。
首の長いキリンは高い木の葉っぱを食べられるので生き残っていき、
首の長いキリン同士が生き残って子どもを産むので、
「首が長い」特徴は温存され、強調されていく。
結果的に長い時間を経れば、首の長いキリンは生き残り、
首の短いキリンは死んでいく。これを「自然淘汰」というわけだ。
(その2につづく)