進化について考える その3

遺伝子がコピーされるときに突然変異が起こり、
自然淘汰によって進化するということは、代替わりが多い生物ほど
進化の速度が速いことになる。
植物でいえば一年草、動物でいえば昆虫がそうだ。
昆虫は生物の中で突出して種類が多い。
冬の寒さや夏の暑さといった生態に不適な期間を、
卵を産むことで種として生き延びようとする。
1年ごと、あるいは数年ごとに代替わりするので、
そのときに突然変異が起こる確率が高くなり、種が増える。
実は価値観の尺度を変えれば、昆虫こそがもっとも進化した生物と
言えるかもしれないというわけだ。
そして、ある種が絶滅すると別のある種がそのスペースを占有する。
そこにまた生物が進化する余地が生まれる。
だからある意味では生物が絶滅するのは自然の摂理ということになる。
そう考えていくと、絶滅危惧種の保護はどうするべきかという難題の
ヒントになるかもしれない。
動植物から学ぶには
人間的な感覚を捨て去ってみることが必要かもしれない。
たとえば、「長く健康で過ごすことが幸せ」という考え方だ。
昆虫たちは個体が長く生きることを諦め、
種として存続する道を選んだ。
人間は種として存続するよりも個体としていかに健康で長く生きられるか
を志向して活動してきた。
そこに「たのしさ」のようなものも加味されてきた。
だから動物園の動物を見て「たのしそうじゃないのはかわいそう」と
いう感想をもってしまう。けれども、「たのしそう」に生きるのが
彼らにとって本当にしたいことなのかどうかは別問題だ。
彼らは「幸せに生きること」なんか目指していない。
ただ自分たちが生きながらえ、種を存続できさえすればいいのだから、
動物園で生きようとサバンナの真ん中で生きようと大差はない
かもしれないのだ。
犬は外で運動しないとストレスがたまってかわいそうという。
自然の中で本能を発揮しながら生きるほうが彼らは幸せという。
でも、犬なんて何十世代も前から自然の中ではなく、
人間の生活環境の中で生きていたのだからそんな本能なんかまだ
あるのかなと思う。
進化とか本能とかもっともらしく語られていることが
本当にそうなのか。
進化についてもっと深く学べば少しはわかるようになるのかなあ。