松井と上原

EXILEに加入した夢を見たことのあるそそくさです。


アメリカでも野球が始まりました。
同い年の上原浩治選手も渡米しましたね。
彼がキャンプに参加したとき、2日ぐらいして
「脳が疲れた」といっていたのには笑った。
ぼくがニューヨークを旅行した時にも同じ感覚になったから。
「おれと同じだ!」と思って、ちょっとうれしかった。
彼の脳もぼくと同レベルなのかと思って親近感がわいた。


で、その上原投手が松井秀喜選手と開幕第2戦で戦うことになった。
そのとき、松井は上原に対して「球場であいさつをするぐらい。
話をすることもないし、食事の約束もしていない」と言った。
これを聞いて、ぼくまた松井に対して感心した。
一見すると、ちょっと冷たいようにも思える。
しかも日本では同じチームのひとつ年下の後輩だった。
異国で不安だろうからと、親切な言葉のひとつをかけてやっても
いいだろうと思うかもしれない。
でも、勝負事の世界は厳しい。
ユニフォームが違えば敵である。
「たまに会う日本人と喜んで日本語で会話するようでは、
この世界で闘うことは難しい」
そういうことを教えたいための、無言のエールだったのではないか。


常々、日本人選手たちがアメリカで仲良くしているのを
ぼくは「なんか気持ち悪い」と思ってみていた。
なんかあるじゃないですか、普段別に親しくないのに、
お互いさびしいから仲良くしてるみたいなのって。
日本から一流の投手と打者が海を渡って、
「何をチーチパッパやっとるか」と思っていた。
「しょせんまだそんなレベルなのだ」と思った。
どういうことかというと、昔、こういうことを言った人がいた。
10年以上前、日本のプロ野球で外国人選手同士が乱闘事件を起こした。
そのとき、「やっと外国人選手が助っ人じゃなくて、一プレーヤーに
なったということでしょう」と解説したのだ。
外国人といえど、異国で言葉の通じる人に会うとうれしい。
だから仲良くしたい気持ちもある。
でもそう言う人たちがいるのが普通になったら、関係なくなって
自分がそのチームに溶け込んで一体化する。
今の日本のプロ野球では外国人同士が進んで(?)いがみ合っている。
日本人と一体化したからそうなる。
でも、アメリカで日本人同士がにらみ合うことがあるか?
まだないと思う。
「まだそのレベル」というのはそういうことだ。
彼らはまだお客さんとして来ている意識が抜けていない。
まだ日本人同士は同じ仲間なのだ。
それがよい悪いという話ではない。
いずれ日本人がアメリカ野球にあふれるようになったら、
投手は打者に平気で内角のきわどいところに球を投げ、
打者は投手を睨みつけるだろう。
日本人もアメリカ人もなく、敵とはなれあいはしない
そういう意識が自然と芽生えてくる。
ぼくがアメリカで見たいのはそういう野球だ。


松井はもう完全に「あっちの人」になっているからそうなる。
で、上原も試合後こういった。
「最初の打席は意識したけど、あとの打席は9人のうちの1人だった」
本当はすごく意識したかもしれないけど、前日の松井の発言を受けて、
「オレだって意識しない。相手がマツイだからって関係ない」
と平静を装ってみせたわけだ。男臭い世界である。
ぼくはそういうのをカッコいいと思う。
彼らこそがサムライだ。
今年はこの対決が見ものである。