カッコーの巣の上で

ジャック・ニコルソン演じるマクマーフィという人間が
精神病棟に入れられ、そこにいる精神病患者たちとさまざまな
問題を起こしながら、外の世界で生きるようにけしかけて行く
という映画である。
ほのぼの始まり、衝撃的に終わる映画です。
日本ではこういう映画をつくるのは難しいでしょうねえ。
この映画は、精神病棟で18人の患者を管理するラチェッドという
婦長さんと、その管理手法に反発するマクマーフィという構図で
展開していく。
最初は、婦長は悪で、マクマーフィは善とする二元論の映画かと
思ったら、そうではなかった。
婦長は自分の与えられた権限の中で、患者がよくなるようにと
最新の治療法を信じて管理している。
マクマーフィも自由に振舞いながら、行き過ぎた管理について
問題提起する(そのやり方には問題があるだろうけど)。
どっちも患者を思う気持ちは同じなのだが、その方法論が違う。
精神病患者をどのように捉えたらいいのか、
悩み苦しむ現場の人たちの闘いが見えた気がした。
黒澤明監督が生前こんなことを語っていたのを思い出した。


「自分から意図してこうしてやろうとか、高飛車につくったら
お客は逃げていっちゃうんだ。大衆に教えてやろうなんて
とんでもないことだ。そうではなく、自分も苦しいんだということを
そのまま吐露すれば、お客はスッと理解する。
それがあれば、どんな悲劇でもお客は映画館を出るときに、
ある主の感動をもって帰ると思う」


つくり手たちの「自分たちもわからないんだ。苦しいんだ」という思いが
伝わってくるような気がした。
だから、間違っても「精神病院って問題がいっぱいでしょ?」などと
いうようなことを言いたい映画では決してない。
欧米では生死の境を意識性の有無によって隔てようとする傾向に
あるのかもしれない。そのため、意識のない人間はただの物体として
軽んじられる傾向にあるのかもしれない。
それが人間の尊厳という言葉によって、肯定されていくのだとしたら
それには少し違和感がある。
ラストシーンではそんなことを感じた。
本質的な意味で「生きる」とはどういうことなのか、
マクマーフィと患者たちを対象的に描くことによって
浮き彫りにし、問題提起している映画に思えた。
名作らしいですが、なるほど、一見の価値ありです。