ロレンツォのオイル

子どもをもってから、子どもの難病系映画は、観るのがつらくなった。
これはハッキリとした変化です。
目をそむけたくなる、観ていられなくなるんです。
(以下、ネタバレがありますので注意してください)


ALDという小児型の副腎白質ジストロフィーという病気を扱った映画
なのだが、事実に基づいた映画ということで、なおさら観るのがつらい。
遺伝的に遺伝子の異常が継承される病気で、言語障害、聴覚、視覚、
さらには四肢に障害が出てくる。
冒頭に「この映画は病気について闘いの記録である」みたいなことが
書かれてある画面が出てくるんだけど、もうほんと闘いである。
こういう映画は、もはや親の目線で観る。
この病気の男の子をもつ両親は、単純に愛情という言葉では
おさまりきらない執念でもって、この病気を研究し尽くそうとする。
その努力というのは鬼気迫るものがある。
しかし、その一方、疑心暗鬼になり、医者など周囲の協力者に対して
不信感を持つようになったり、自暴自棄になったりもする。
親としての強さと、親だからこその弱さが同居している。
そこがリアルであったし、人間の内面を描いていて、すばらしいと思った。
そうなって当然だと思う。
親として当然と思えることと、当然でないことが映画には
描かれている。自分がこの親の立場であったら、ここまでの努力は
到底できないと思わせるほど闘いが壮絶なのだ。


で、この両親がえらいなと思ったのは、自分の子どもの病気が
よくなりそうな傾向が見えたとき、同じ患者の家族会の人たちにも
その情報を知ってもらいたいと強く主張するシーンである。
「自分の子だけ助かればそれでよい」ではない。
同じ痛みをもつ人へのやさしさがある。
軽々しく聞こえるかもしれないが、こういう病気がほかにもいくつも
あるのだとしたら、本当にやりきれない思いがする。
すべての病気を克服するなんてことは、人間の傲慢なのかもしれないが、
映画ではこういう。
「傲慢の語源は、自己を主張するということだ」
この映画の親は医者のいうことを鵜呑みにせず、
自分たちの意見をもつことが親としての責任であるという。
自分がこの子の親だったら、どういう選択肢をとるか、いまはまだ
答えはでないが、よい宿題をもらったという気がして観終えた。