自分が聞く番

2日は祖母の病院と母方の親戚の集まりに顔を出した。
親戚と集まるといつも思うのが、親戚の子供たちが
いくつになったのかということだ。
名前はかろうじてわかるが、何歳かはかなりあやふや。
事前に母親から情報を入手する。
でも母親もあやふやなので、直接本人に聞く。
「いくつになったんだっけ?」
自分が聞く番になったのだなといつも思う。
自分が子供のころは、そういって聞くおじさん、おばさんたちに
「毎年聞かれるよ。そろそろ覚えてほしいなあ」
と思っていた。


無理っ!


ああ、年をとってみないとわからないってこのことだったのね。
しみじみ思う。
お年玉をあげていた子たちがもう働いていて、
逆にうちの娘にお年玉をくれたりする。
「みんな立派になったなあ」と感心した。
しかも、まわりの年配の人たちよりたくさん包んでくれたりする。
わかる気がする。
自分がお年玉をあげられるようになったのがうれしいのだ。
うれしくて、ついつい奮発してしまうんですよね。
ぼくにも覚えがあります。
ぼくは大学に一浪して入ったので、
23歳になるまでお年玉をもらっていた。
けれども、彼らは18歳で働いて、もうお年玉をあげるようになったのだ。
ほんと立派だなあと思う。
こっちがあげる番だったのはつかの間で、今度は娘ができたから、
もらうほうが多かったりする。
お返しができるのはまだまだ先になりそうだ。