一杯の氷水

ある私立小学校の教師を長年勤め、現在は大学名誉教授の先生の
本をつくろうといま原稿を書いています。


今から50年ほど前。
先生が教師になったばかりのころ、初夏の時期に
家庭訪問が実施されることになりました。
学校側から家庭に向けて、一枚のプリントが配られました。
「お菓子を出さないでください。お茶一杯だけにしてください」
と書かれてあり、先生も校長から厳しく
「お茶以外のものを出されても手をつけてはいけない」と
いわれていました。
生徒へのえこひいきの材料にさせないためです。
ある日、4軒回って最後の家を訪問したとき、
一杯の氷水が出てきました。
当時、氷は貴重な時代で、氷水は大変なご馳走でした。
先生は悩みに悩みます。
手を伸ばしていいものかどうか、
でも、それは約束を破ることになる、
けれども、せっかくの思いやりを無にするのも気が引ける――。
悩んでいるうちに氷はみるみる溶けて、
ただの水になってしまいました。


先生は「あのとき、ひと口でも口をつけるべきだったか、
あれでよかったのか、50年経ったいまでも答えが出ないのです」
といいます。
生徒と交わした約束を守ろうとする真摯な教師の姿が
そこにはあります。
どこぞの教育委員会に聞かせてやりたいお話です。


「教育に携わる者の矜持」


そういうものを感じました。
教育者っていうのは、それぐらい自分の行動に気をつけて
いなければならないのですね。
やりがいもあるでしょうが、本当に大変な仕事です。