ザ・カップ/夢のアンテナ

ザ・カップ movie

中国とインドに挟まれた小国・ブータン王国から届いた
初の国際映画ということで話題になった。
(完全ネタバレですので、ご注意を!)
インド北部の小さな村の僧院が舞台。
そこで修業するウゲン(10歳ぐらい)は大のサッカー好き。
時はちょうど1998年のフランスW杯の真っ最中。
ウゲンはサッカー見たさに夜な夜な僧院を抜け出し、
村の民家で観戦していた。
そんな僧院にウゲンと年の近いニマという少年が、
彼の叔父と一緒にチベットから亡命してくる。
母と離ればなれで暮らしているという似た境遇の二人だ。
さっそくウゲンはニマをサッカー観戦に誘う。
あるとき、そのことが高僧のゲコ先生にバレてしまう。
罰として炊事当番にさせられてしまう。
しかし、ウゲンは近づく決勝戦に向けて、秘策を練る。
勝戦さえ見られたら、あとは修業に励むことを約束し、
テレビをレンタルさせてほしいと頼むことである。
ウゲンはゲコ先生に、僧院長に頼んで欲しいと申し出る。
ゲコ先生は、僧院長から了解を取り付ける。
そして、ウゲンは仲間からお金を集め、電気屋でテレビをレンタル
しようとするが、電気屋に足元を見られ、金が足りなくなる。
そこで、ウゲンはニマに、ニマが母親から授かった金の時計を金の担保
として差し出すように迫る。
めでたくテレビはレンタルでき、決勝戦が映し出される。
でも、誰よりも試合を見たがっていたウゲンは冴えない顔をしている。
ニマのことが気になってしかたないのだ。
結局、ウゲンは試合の途中で席を立つ。
自分の部屋に戻って、金の時計のかわりに金になるものを物色する。
そしていくつかのものを袋につめた。
その中には、ウゲンが母親から授かった短刀があった。
ウゲンは、ニマのあの金時計がどういう価値のものか知っていた。
母親と離れて暮らすという、似た境遇にある者への共感だった。
ウゲンの様子に気づいたゲコ先生が部屋にやってきて、
「お前は商売が下手だが、きっといい僧侶になる。金のことは心配するな」
と、ウゲンの頭をなでながらいう。


この映画は、変わっていくものと変わっていないものについて
描かれている映画だと思った。
変わっていくものとは、テレビ=情報による、人々の意識である。
僧院長はいう。
「私がニューヨークに行き、摩天楼を見たといっても写真を見せなければ
誰も信じないだろう」
つまり、昔は高僧のいうことは、何の疑いもなく信じられていた。
しかし、写真やテレビの存在を知った人々は、
目で見たものでなければ信じない。
僧院長はサッカーのことはわからないが、彼の下で修業を積む僧たちは
サッカーに夢中になっている。それが変わるということだ。
しかし、一方では変わらないものもある。
それはウゲンのような、他者に共感する心であり、友だちを大事にする
ことであり、思いやりの精神である。
実はブータンでも、チベットでも、旧来生活の質的変化が起こっている。
欧米式の物質文化が徐々に浸透している。
その中で社会の変質が起こっている。
そうした変化の中で、人々がどのように暮らしているかを
描きたかったのが、この映画ではなかったか。
監督はブータンの高僧で、プロデュースは『ラストエンペラー』や
戦場のメリークリスマス』を手掛けたジェレミー・トーマスである。
ほんの少しだけ泣ける、実話に基づくお話。
ほっこり心があったまる1本です。GWにどうですか?