『迷える者の禅修行』

「これも修行だと思えば」と、しんどい出来事が起こると
思うことにしていた。
仏道のしゅぎょうには「修行」の漢字をあて、
その他の訓練の意味では「修業」の字を当てる。
いままで厳しさのニュアンスを伝えたいときには「修行」を
使っていたが、今後考えを改める。
軽々しく「修行」の文字を使ってはならないと思った。
また、悟るという言葉もよく使うが、こうした厳しい修行のすえに
たどりつくのが悟りの境地であって、「悟る」ことも簡単に
できることではないのだと思わずにいわれなかった。
そう思わせるほど、禅の修業というものがすさまじいものであることを
本書ではいやというほど触れている。
仏道の修行とはかくも厳しいものなのか、はじめて知りました。
この本は、ドイツ人が日本の仏道に入門し、禅を志して
修行に励む様子が描かれている。
そうした修行の中で、自分の思いあがりや、仏法の真理に、彼なりに
気づいていくのですが、難しい話ではないので、一般にも理解できる
内容になっています。
いまの仏教は堕落しているという人もいますが、
この本を読めば、そういうことは簡単に言えないような気がしますね。
修行を通しての欧米人論や日本人論などもおもしろいし、
彼が修行の過程で仏教のなんたるかについて気づき、
自分の不甲斐なさや傲慢さ、至らなさに思い至るようになっていくのが
読みどころになっています。
彼は禅の修行のとき、「私が座禅をしている」のではなく、
「座禅が座禅をしている」という感覚になっていくといいます。
独特の身体感覚と、仏教的な「私」感は非常に興味深いです。
お経を唱えたり、ましてや出家するなんてのはハードルが高いが、
座禅ならすぐにできる。座禅をすると、内省的になっていくという。
人生に迷ったら、やってみることにする。