顔見世行脚in岡山 後編

土曜は兄夫婦たちが午前中に合流して、花見をしつつ、
ひいおばあちゃんと親戚のところをまわろうという計画です。
ひいおばあちゃん(私にとっての祖母)は、2,3日前に
低体温症になって一時は危なかったが、山は超したようだった。
体はどこも悪いところがないらしいが、食欲がないらしい。
頭はしっかりしていて、私のこともちゃんと覚えている。
ただ、言葉がポツリポツリとしか出てこない。
「ばあさんになったじゃろう?」というのだが、
からしてみれば、祖母は最初からばあちゃんなのであって、
それほどの変化は感じない。
父、父の姉とも少し話して「もう長くないだろう」との意見で一致。
老人施設に入ったころは、ちょっと行くのがつらかったけど、
いまはそんなことはない。普通に話ができる。
人は誰でも死ぬのだから、どうということはない。
どうということはないが、どうでもいいということは決してない。
彼女は老人施設を2つ渡り歩いて、病院にたどり着いたわけだけど、
最期を迎えるのがここでいいのかな、とは思った。
老い方や介護を論じた本の編集をしたとき、著者の先生が
「介護の仕方が悪いと、お棺に入らなくなる」と話しておられた。
手や足が曲がって納まらなくなるのだという。
そういうことにならないか、それだけが心配だ。


そのあとは、親戚の家を訪問。
節句のお祝いまでいただいて恐縮でした。


日曜日は倉敷の美観地区へ。
昼食を食べ、お土産を買って帰った。


今度はもう少し緩やかなスケジュールで帰省したいものです。