『痴呆老人が創造する世界』 

『痴呆老人が創造する世界』(阿保順子著 岩波書店)という
本を読んだ。
『「痴呆老人」は何を見ているか』を読んでから、
「痴呆老人」をキーワードにして広げて読みたかったからです。
この本は看護学を学んだ著者が、痴呆老人病棟での長期の
フィールドワークを通して確認したことをつづったものである。
そこには驚くべき「痴呆老人」たちの世界があった。
まったく意味のない会話、まったく意味のない行動、
現実とは違う状況認識、作話などである。
彼らは現実世界を自分たちの都合のいいように創造して、
自分たちの存在が危ういものにならないようにしているように
感じられた。
彼らはこれまで自分が生きてきた世界と、
自分が生きたかった世界を創造して生きている。
それが生存を担保する必要な行為であることがわかった
ような気がした。
また、幼児が環境を認識していくのと逆の過程が痴呆老人には
起こっていることと、逆に幼児とは違う面についても書かれていた。
自分で考えたこととつながることもあれば、
まったく新しいこともあり、勉強になることが多すぎて
ちょっと簡単に整理できそうにない。
こうした本をいくらか読んだだけで痴呆老人について
知った気になることは到底できないが、
いくらか彼らの言動がどういうときにどのような理由で起こるのか
ちょっとはわかったような気がする。
私たちからみれば問題行動と思えるような行動を、
著者はあたたかいまなざしで、少しのユーモアを加えて書いており、
現場の深刻さをいくらかやわらげてくれており、
読んでいてつらくないものになっている。
少しのユーモアがなければ、つらくて読み進められないだろう。
「まったく意味のない会話、まったく意味のない行動」
と書いたけれど、自分たちだってどれだけ意味のある会話、
意味のある行動をしているだろうかと思う。
「まったく意味のない会話、まったく意味のない行動」
を彼らがするのは、かかわるためだと著者はいう。
なるほど、私たちだって「今日は寒いですね」「歩いてきたんですか?」
「調子はどうですか?」「貧乏ヒマなしですよ」「一年は早いですね」
などと、意味のない無数の会話をかわす。
それもかかわるための会話ではないか。
著者はいう。
介護者が痴呆老人に対するときは、常に話をし、一緒に行動し、
ときには共感し、とにかくかかわることが重要だと。
この本を読むだけでも介護者の気持ちが少しは違うものに
なるのだと思うのは、楽観的すぎるだろうか。