ヴェラ・ドレイク

20世紀はじめのイギリスでのお話。
(注:ネタバレがあります)
ヴェラ・ドレイクという中年女性が、法律で禁じられている堕胎を
行い、逮捕、収監されるまでを描いています。
その方法は子宮内に石けん水を流し入れるというもの。
昔はそんな方法で堕胎したこともあったのですね。
興味深かったのは、ヴェラは「人助け」と思ってしていたということ。
もちろん、違法だったことは知っていたが、それよりも彼女は
人助けできる満足感、充実感があった。
その顔は自信に満ちたものだった。
それなのに、刑事が彼女の家に踏み込んだ瞬間に一気に泣き崩れる。
彼女は自分が法律を犯していることは知っていたのに、
なぜ、あそこまで思いつめなければならなかったのか。
ここに堕胎をめぐる人々のさまざまな思惑が見てとれる。
警察が来てはじめて、ことの重大さを知ったということなのか。
ヴェラは堕胎の報酬をまったく受け取っていなかった。
まったくのボランティアだった。
「自分はいいことをしている」と信じて疑わなかったはずだ。
けれど、警察が来ると激しく後悔した。
人助けの方法論が間違っていたと、簡単に整理できるものではないだろう。


現在の日本の法律では、妊娠後一定期間内なら堕胎が許されている。
海外では宗教の違いもあり、法律はまちまちである。
以前、「人体の不思議展」を見にいったとき、胎児の標本があった。
3か月でも立派に人の形をしている。
あれを見たら、絶対に堕胎はできないと誰もが思うはずだ。
どの時点から生命が宿ると判断するかは人それぞれ違う。
けれど、私の場合、人の形をしていたらもう「人間」と思う。
中学生ぐらいのときに、あのような標本を見るべきだと思った。
しかも、写真ではなく、リアルな大きさがわかる本物の標本でだ。


堕胎は善いことなのか、悪いことなのか。
法律の観点からいけば、ある一定期間までは可であり、
ある一定期間を過ぎると不可である。
だが、「可」は必ずしも「善」ではないし、
「不可」は必ずしも「悪」ではない。
そこに人の命をめぐる悩ましい問題がある。
正解はない。選択があるだけ。
深い深い疑問を投げかけられたようで、
考え込んでしまった映画でした。