いじめたり、いじめられたりしたこと

いじめたりいじめられた経験が自分にあるかと考えたとき、
思い出したことがある。
小学6年生のときだったか、近所に転向してきた男の子がいた。
同じクラスになったが、彼が「前の学校では給食がもっとよかった」
とか、「この学校は田舎だ」などというので、
クラスから総スカンを食ったことがあった。
いわゆる「シカト」の状況だ。
休み時間のドッヂボールでも標的にされるようなことがあった。
自分もいじめていたかというと、たぶん、人によっては
その一派として見られてもしかたがないと思う。
いや、正直いって、無視することがいじめなら、
いじめていたということになると思う。
あるとき、クラスから生徒会(児童会?)の役員として
書記候補を選出することになり、圧倒的多数でその彼が当選した。
誰もやりたくなかったからだ。
そのとき、彼は「自分はいじめられていて、それなのに、
書記なんてできない!」といって、みんなの前で号泣した。
で、誰が出るかというとき、ある女の子が手を挙げた。
彼女もほかのクラスの女の子たちからあまりいい扱いを受けて
いなかったと思う。立候補したのは、彼に共感したからだろう。
4、5、6年生400人が集まる体育館で、彼女は候補者として
演説しなければならなくなった。
壇上に上がった彼女は、5分間ずっと無言を貫いた。
ぼくらは「じゃあなんで、自分で手を挙げたの」と笑った。
だが、いま思えば、彼女と、彼をいじめたもの、つまりぼくらへの
無言の抗議だったのだ。
中学生になり、やんちゃなグループに属していたぼくは、
そのグループからはずされそうになった。
グループ内のメンバーが順番に無視されていた。
今度はぼくの番だったわけだ。
そのときは、自分から積極的に入っていくことで、
深刻に仲間はずれにされることはなかった。
彼らにしてみれば、ゲーム感覚だったのだろう。
自分へのいじめはいじめともいえないようなものだったけれど、
いじめた場合は「あんなのたいしたことじゃない」とは
間違っても言えない。
これ以外は、誓っていじめに関与したことはいっさいない。
どうしてあのときいじめをやめなかったか、いまとなってはわからない。
ただ、どうしていいかわからなかった
というのが本当のところだった。
小学六年のいじめのときは、近所の子とその親も交えて話し合いが
もたれ、中学になってから一緒に登校するようになった。
しばらくしてぼくは一緒に行かなくなったが、近所の男の子は、
いじめられていた彼と本当に仲良くなり一緒に登校するようになった。
1年たってちょっと成長したのか、そのときぼくは
ああよかったな、と思えるようになっていた。
うちの学校ではなかったが、周辺の学校では在日の人々への差別、
同和問題に絡んだ、もっと陰惨なケースもあったと聞く。
ひとつ言えるのは、いじめを助長しているのは、間違いなく、
大人たちがつくる社会の雰囲気だということだ。
社会にはびこる差別を見て子どもは育つのだ。
外国人への差別
同和への差別
障害者への差別
ホームレスへの差別
高齢者への差別
これをなくしていこうという雰囲気がなければ、
子どもへのいじめも絶対になくならない。
違いを認め、他者を尊重し、共存する最もよい方法を模索するという、
これまでよく言われてきたことを、いまこそかみしめてみる必要がある。